七宝焼き

弊社は今から60年前に設立させた東京七宝工業協同組合の当初から活動していた組合員です。

組合設立時組合員は60社ほどに上ります。また会員以外にも多くの七宝職人が居ました。

この当時は「東京七宝」七宝という呼び名はなく俗にメタル七宝という風に呼ばれていました。

東京七宝の技術は江戸中期に徳川幕府のお抱え彫金師で在った平田彦四郎が朝鮮から渡来した人物に七宝を習った事に始まります。

平田家は明治初期までその技術を一子相伝として伝え、明治初期に明治政府の依頼で日本で初めて勲章を作ることになりました。

その時勲章の制作を任されたのが、7代目平田彦四郎でした。彼はフランスへ渡り機械で勲章のデザインを作ることを学びました。

そして初めて日本で大勲位菊花大綬章七宝メタルを作ったのです。

勲章を制作する中その数量が増えその技術を応用する人たちも出てきました。

平田家だけでは七宝が間に合わず多くの七宝職人が生まれました。

東京七宝は機械で地金を作ります。その為メタル七宝と呼ばれる所以です。

現在地金は丹銅、銀、金この3種類が広く用いられています。

丹銅と銀は釉薬に違いが有ります。丹銅に使われる釉薬が一番多く銀に使用できる釉薬はその7割程度です。

地金の表面の色に関りがあるようです。また焼ける温度なども多少影響が有るでしょう。

そしてメタル七宝の技法は七宝教室とか作家さんには向いていません。

その理由の一つとして同じものを多く作る、さらに酸処理の施設を必要とするメッキ加工を最後の工程にいれる。

など多くの制約があります。また七宝技術も七宝教室で学ぶ程度では綺麗な商品は出来ません。

一般の人に知られている七宝焼きはやはり多くの人が取り組める技法が主流になります。

簡単に言うと七宝焼きです。この上に有線七宝の技術が有ります。

七宝焼きを七宝教室で学ぶと最初は七宝の色付けそして馴れると銀線を使いデザインを構築する(有線七宝)になります。

殆どの七宝焼きがこのタイプです。

長くなりましたので今日はここまで

店主